乱読一風

読んだり観たり思ったり

TV視聴 ETV特集原発事故”最悪のシナリオ”~そのとき誰が命を懸けるのか~

最悪のシナリオ 誰が命をかけるのか (3/10 0時再放送)

10年前のあの大震災について、今日はTVでも様々な特集が組まれている。

東日本に住んでいる人々にとって誰もがあの日、自分がどうだったか、どんな状況だったか、それぞれに思いがあり、忘れられない1日であったことは間違えないだろう。

それにしてもこの検証のドキュメンタリーがなぜ深夜のEテレなのか、ゴールデンタイムのNHKではないのが不思議なくらいその当時のリアルなやり取り状況をうつしだしている。見ていて、怖いくらい日本は危機的な状況だったのだ。首都圏を含む東日本壊滅の危機、当時そんなことは全く知らなかった一市民としては驚きの連続である。

当時も米軍や在日外国人が次々と自国に退避していることは話題になったが、地震慣れしていない海外の人たちだから、と私は思ったりしていた。

又、訳も分からず(と見えた)避難所から避難所へと退避していく原発20キロ圏内の住民を他人事としてTVで見て、これは結構まずい状況なのかな?とのんきに思っていた。

日本は原発が多数あるにもかかわらず、政府も自衛隊もそして国民も原発のことを知らな過ぎる。必要な情報も判断できるだけの知識も無さすぎたのだ。私たちはもろ刃の剣となる原子力を使用していく以上、また災害の多い国土を思えば、どれだけ備えても足りないくらいなのだろう。安全神話にあぐらをかき、事故が起こって初めて危機管理不足に思い至るとは遅いにもほどがある。

事故が起きた時、終息への努力は必要である。それは一企業である東電の社員がやるのか、知識のないまま自衛隊がやるのか、もうぐたぐたの状況の中事態は悪化していくばかり。奇跡的に最悪のシナリオにはならなかったが、それは本当に運がよかっただけなのかもしれない。

今の福島第一原発の状況は、後処理に何十年かかろうとも、最良ではなくとも、最悪ではなく、むしろここまで回復したのは奇跡的に思える。いまだ帰れない方々がいらっしゃるにしても、である。

当時の関係者がいろいろと証言しているが、東電の当時の社長は一切の発言をしていない。そういえば、当時も東電の社長は記者会見をしなかった。副社長か技術系?広報?の社員だったと記憶している。当時もなぜ社長はでてこないのか不思議に思ったがこの番組にも一切のコメントを拒否しているようだ。マスコミ不信なのかもしれないが、どうとらえられようとも説明し、自らの思いを発信するべきではなかったのか?

菅総理は比較的正直に状況をさらしている。批判も覚悟で国民にゆだねる、それが今後に生かされていくというのを理解しての証言であろう。自己防衛的な発言もあるが、それをさらせるのはいいのではないかと思う。当時誰もが必死だっただろう。それでもうまくゆかなかった点は、今後に生かされてしかるべきものだが、最後に自衛隊の元幕僚長が言っていた、何も変わっていない、という言葉は現政権のコロナ対策を思い起こさせる。危機に対して鈍感なマインド、それは日本の特徴かもしれないと。

現場の力

日本は危機的状況になるといつだってまず、現場が頑張るのだ。福島第一原発でも残った社員が何とか2週間持ちこたえた。今現在起きているコロナも医療従事者の皆さんが奮闘されている。この現場力こそ日本の実力である。この現場力を殺してしまわないためにも政治家はもっとシャドーワークをいとわずに(派手なパフォーマンスやもっともらしいカタカナ語で気を引くのはやめにして)コツコツと積み上げる仕事、何かあったときにこれがあったからよかったんだと思える仕事をしていってもらいたい。災害の前ではすべての人間は命がけになる。その時、あってよかったと思える政治は一朝一夕にはできないのだから。